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作品詳細

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©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TFM000014
作品No.
1212-AC12
画像No.
01212mdnp
 
 
作品名
ポール・アレクサンドル博士
作品名欧文
Portrait of Dr. Paul Alexandre
 
 
作家名
アメデオ・モディリアーニ
作家名欧文
Amedeo MODIGLIANI
 
 
生没年
1884 - 1920
 
 
年代
1909年
制作年
1909年
材質・形状
油彩、カンヴァス
寸法
100.5×81.5cm
 
 
所蔵先
東京富士美術館
画像データ
13.2MB
解説
イタリアのリヴォルノに生まれたモディリアーニは、1906年1月、絵を描くためにパリに出た。その翌年の11月、本作のモデルとなっている人物───医師で美術愛好家のポール・アレクサンドル博士と知り合う。モディリアーニの作品に関心をもった最初の人である。彼は1914年に第一次世界大戦に出征を余儀なくされるまで、モディリアーニのパトロンであり、この若い画家を激励し、その作品を買い続けた。フランス人で知識豊かな美術愛好家であったポール・アレクサンドルは、無名の芸術家を公衆、画商、収集家に紹介するチャンスのある公的機関にもよく通じており、さまざまな面でモディリアーニを支援し、その芸術活動を支えた。1908年になると、モディリアーニはポール博士とその弟ジャンが創設した芸術家コロニーにしばしば通うようになる。1909年には同博士の3点の肖像画が描かれたが、その中では本作が最も完成度が高く、素晴らしい出来映えを示している。同年に描かれた《乗馬服の女》(ニューヨーク、個人蔵)と同じように、左手を腰にあてたポーズの4分の3分身像となっている。この博士の肖像画シリーズは、ある意味では「芸術のパトロンが画家へ出資することによって彼の肖像画が描かれる」というルネサンス以来のイタリア絵画の伝統を思い起こさせる。ちょうどこの絵が描かれた頃、モディリアーニは彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと友情を結び、以後の数年間は彫刻に没頭することになる。しかし絵画を放棄したわけではなく、1914年以降の細長く平面的にデフォルメされたいわゆるモディリアーニ様式に繋がってゆく。本作は若いモディリアーニの瑞々しい感覚が漂う初期の秀作といえよう。