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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM4773000
作品No.
巻物99-41
画像No.
47730.00
作品名
土岐頼充書状 織田大和守(達勝)宛
作家名
土岐頼充筆
年代
天文13(1544)
寸法
縦17.0 横49.7
所蔵先
徳川美術館
画像データ
29.9MB
解説
"就今度出陣之儀
則以使者可申之処
手法陣執等取乱延
引慮外候 其口之義
早々被執詰之段
祝着至極候 委細霜台
可有演説候 猶神戸
治部丞可申候 恐々謹言
九月十二日 頼充(花押)
織田大和守殿
土岐頼充は、斎藤利政(道三、一四九四~一五五六)によって美濃国を追放された守護・頼武の子・次郎頼純(一五二四~四七)と推定される。頼武父子は越前国朝倉氏に保護され、美濃奪回を目指し、尾張国下四郡守護代の織田達勝や、その家臣の織田信秀とも連携して、天文十三年(一五四四)に井ノ口(後の岐阜)城下まで攻め込んだが、利政の反撃によって撃退される。しかし、この時、織田方は大垣城の占拠に成功し、一時的に西美濃を勢力下に置くことができた。"