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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM4772700
作品No.
巻物99-20
画像No.
47727.00
 
 
作品名
長井秀元書状 水野十郎左衛門尉宛
 
 
作家名
長井秀元筆
 
 
年代
天文13(1544)
寸法
縦16.0 横48.1
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
26.0MB
解説
"先度以後可申通覚悟候処
尾州当国執相ニ付而 通路
依不合期無其義候共 其御理
瓦礫軒安心迄申入候 参着候哉
仍一昨日辰刻次郎朝倉太郎左衛門
尾州織田衆上下具足数
二万五六千惣手一同至城下
手遣仕候 此方雖無人候
罷出及一戦 織田弾正忠
手へ切懸 数刻相戦 数百人
討捕候頚注文進之候 此外
敗北之軍兵 木曽川へ二三千
溺候 織弾六七人召具罷退候
近年之状御国ニ又人もなき様ニ
相働候条 決勝負年来之本
懐此節候 随而此砌松三へ被仰談
御国被相固尤存候 尚瓦礫軒
可有御演説候 可得御意候 恐惶謹言
九月廿五日  秀元(花押)
水野十郎左衛門殿 人々御中
 斎藤利政(道三、一四九四~一五五六)の家臣・長井秀元(生歿年未詳)から、水野十郎左衛門尉へ送った書状である。斎藤軍は加納口の戦いで織田信秀(一五一一~五二)軍を討ち破り、木曽川では織田軍の兵二~三千人を水死させたことを報告している。水野に対し、松平広忠(一五二六~四九)と共に三河国を統一するように勧めているが、この頃水野家は松平家との同盟を解消し、織田方に転じていたため、斎藤家による織田家攻略は実現しなかった。"