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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM001282
作品No.
掛物72.0
画像No.
49986-0
 
 
作品名
藤原定家書状「山門状」
 
 
作家名
藤原定家
作家名欧文
Fujiwara Sadaie
 
 
制作年
建保6(1218)
材質・形状
紙本墨書
寸法
縦32.7 横90.9
指定
重要文化財
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
17.3MB
解説
藤原定家(一一六二~一二四一)自筆の書状で、書き出しの語句「山門衆徒……」を冠して、古くから「山門状」と呼ばれている。この書状は、延暦寺末寺大山寺の神人が石清水八幡宮に属する筥崎宮留守職に打ち殺された事が発端で、延暦寺(山門)側が石清水別当宗清の処罪と石清水領を延暦寺領とする要求を朝廷に提出、これが受け入れられないため神輿動座におよんだ事件に対し、石清水側には罪科を科せず、山門側には神輿を帰座するようにとの院宣が下ったとの宮中での評定の結果を、義弟の藤原公経(一一七一~一二四四)に報じている。この内容から建保六年(一二一八)定家五十七歳の書状であることが判明する。徳川家康─尾張家初代義直と伝えられた。