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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM001128
作品No.
巻物99-26
画像No.
47729-0
 
 
作品名
織田信忠書状 延友佐渡守宛 (天正三年)七月廿三日
 
 
作家名
織田信忠
作家名欧文
Oda Nobutada
 
 
年代
天正3年
制作年
1578年
寸法
縦14.5 長90.0
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
7.0MB
解説
信長の嫡男・信忠が、武田方の美濃国岩村城(現・岐阜県恵那市岩村町)を攻略するに際して、東美濃の豪族・延友佐渡守に対して送った書状。延友佐渡守が織田方に同心し、岩村攻撃に加わったことを賞している。延友氏は東美濃国の一大領主・遠山氏の一族で、後に遠山姓を名乗り、豊臣政権下では讃岐生駒家に仕えた。江戸時代に生駒家が改易になった後、そのまま跡を襲った高松松平家の家臣となった。
岩村城は、元亀3年(1572)10月に武田信玄の重臣・秋山信友によって攻略されており、この時、織田信長の叔母で前岩村城主・遠山景任夫人が織田方を裏切り、養子としていた信長の5男坊丸(後の織田勝長)を武田方に引き渡した上、自身は秋山の夫人となった。信長はこの裏切りに激怒し、長篠合戦で武田方の勢力が弱体化した天正3年(1575)に、嫡男の信忠を総大将として岩村攻めを行って、5ケ月の滞陣の末、岩村城を攻略した。この時、秋山夫妻の助命が約束されたが、信長はこの約束を反故にし、夫妻ら5名を岐阜城下の長良川河川敷において逆さ磔で処刑した。

書中披見祝
着候、仍此表之儀
弥属存分候、随而
岩村表之事、相
詰之由尤候、旁期
来音候、謹言

七月廿三日 信忠(花押)

    延友佐渡守殿