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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM001112
作品No.
巻物112-1
画像No.
90004-0
 
 
作品名
加藤清正書状 九鬼広隆・粟生一郎右衛門尉宛
 
 
作家名
加藤清正
作家名欧文
Kat? Kiyomasa
 
 
材質・形状
紙本墨書
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
11.1MB
解説
加藤清正書状 九鬼広隆・粟生一郎右衛門尉宛 (天正二十年)七月廿三日
 天正20年(1592)6月に朝鮮北東部にあたる咸鏡道に侵攻した加藤清正は、快進撃を続け、7月23日(日本暦)には女真族の居地(=おらんかい)との境界に位置する会寧(=ほいれぐ)に達し、従者40~50人を連れて逃げていた二人の王子を捕縛した。この後、清正は「おらんかい」へも侵攻していく。
 本作品は、会寧から端川で在番していた九鬼広隆らに宛てた書状である。端川には銀山があったことから、銀子三十枚を飯田角兵衛(=角兵へ)に持たせて、名護屋の豊臣秀吉(=上様)へ進上することを指示している。
 清正の孫娘(忠広娘・献珠院)の婚嫁先である旗本阿部家伝来。昭和46年購入品である。

(本文)
 急度申遣候仍其廿
三日おらんかいの境目
ほいれぐの城へ国王之
嫡子同弟其外大官之
衆下々共四五十人候て
逃入候を取詰候処城
中より命之儀種々令
懇望候間命を助城を
請取召置候国王之儀
方々尋ニ遣候是有候所
可相聞候爰許隙明次
第おらんかいへ可相働
覚悟候すこしも機遣
之儀無之候其許諸事
油断不可在之候恐々謹言

(追而書)
尚以四郎兵へニ申遣候
上樣へ端川郡之銀子
三十枚進上仕候由申上候間
随分令才覚角兵へニ可
相渡候若したらす候てハと
思ひ自此方も銀子百九十目
余遣候丗枚之都合無相違候樣
可仕候事肝要候 已上

加藤主計頭
(天正二十年)
七月廿三日 清正(花押)

九鬼四郎兵へとのへ
粟生一郎右衛門尉とのへ
注釈
(天正二十年)七月廿三日