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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM001111
作品No.
未表具文書23
画像No.
90002-0
 
 
作品名
豊臣秀吉朱印状 加藤主計頭(清正)宛
 
 
作家名
豊臣秀吉
作家名欧文
Toyotomi Hideyoshi
 
 
材質・形状
紙本墨書
寸法
縦23.8 横61.4
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
10.9MB
解説
豊臣秀吉朱印状 加藤主計頭(清正)宛 (慶長三年)正月廿五日
 蔚山城に籠城する加藤清正に対して、籠城の労をねぎらうとともに、兵糧1万石を送ることを伝えた秀吉の書状。前年の2月に、和平交渉が決裂したことにより、朝鮮南部の武力割譲を目指して、秀吉勢は再び出兵し、半島南部に倭城を築いて防衛拠点とした。しかし、倭城の一つ蔚山城の完成間近に明の大軍によって攻撃が仕掛けられたため、城を守る清正勢は兵糧も無く、落城寸前まで追いつめられた。慶長3年正月3日に援軍が到着したことにより、清正はかろうじて窮地を脱出できたが、以後、戦線は膠着し、秀吉の死まで事態は進展しなかった。

 今度蔚山へ敵
取詰候之処、其
方懸入候故、城中
堅固相拘候段、神妙
被思食候、然者兵粮之儀
先書ニ如被仰遣候
於朝鮮壱万石被下候間
寺澤志摩守手前より
可請取候、西生浦之儀者
毛利壱岐可令在番
之由、被仰遣候也

(慶長三年)
正月廿五日(秀吉朱印)
     加藤主計頭とのへ