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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM001008
作品No.
掛物33
画像No.
47363-1
作品名
徳川家康書状 将くん(秀忠)宛
作家名
徳川家康
作家名欧文
Tokugawa Ieyasu
生没年
1543‐1616
年代
慶長12年
制作年
1607年
材質・形状
紙本墨書
寸法
本紙縦24.1横63.6 総縦133.9総横81.2
所蔵先
徳川美術館
画像データ
15.1MB
解説
慶長12年(1607)3月11日、駿府の家康から江戸の2代将軍秀忠に宛てた自筆書状。同月5日、28歳で歿した松平忠吉(家康4男、尾張清須城主)の家老・小笠原和泉守吉次を犬山から移封するに当たり、その実施方法を尋ねてきた秀忠の書状に対し、家康が与えた返書である。吉次は忠吉の幼年時代の傳役で、このとき殉死を願ったが、老齢を理由に秀忠はそれを禁じたという。忠吉には跡継ぎがなく、絶家が予測されたので、将軍秀忠は速やかにその遺臣達の処遇を講じなければならなかった。
当時吉次は尾張犬山に1万石余を領しており、後に下総佐倉2万8千石を与えられた。秀忠の質問は「吉次移封は直ちに実施すべきや、秋まで延期すべきや」であり(同年3月7日付、徳川秀忠自筆書状 本多上野介正純宛 徳川美術館蔵)、これに対し家康は本状に見られる通り「現在の知行高をよく調べてから替地をつかわすのがよい」との指示を与えた。忠吉の歿後2日目に、秀忠は吉次移封に関して直ちに家康の指示を仰ぎ、家康も即座に自筆をもって応えたとわかり、この事件の2年前の慶長10年にすでに家康は秀忠に将軍職を譲ってはいるものの、実際には依然として家臣移封といった幕府揺籃期における家康の大御所政治の実体を示す資料である。
御状令拝見候
いつみ儀尤候
知行事
きうめい候て
かへちつかわし
尤候清須に
むさと御座候ま丶
そのしをき申
可付候 恐々謹言
三十一 家康
将くん
まいる
(追而書)
返々いつミ知行
高を御きヽ候て
かへいたし尤候"