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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM000967
作品No.
巻物99-42
画像No.
46570-0
 
 
作品名
武田信玄書状 朝倉義景宛(「芳墨拾遺」八巻所収)
 
 
作家名
武田信玄
作家名欧文
Takeda Shingen
 
 
年代
元亀元年
制作年
1570年
材質・形状
紙本墨書
寸法
縦14.0 横42.8
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
18.6MB
解説
武田信玄(1521~73)が越前の朝倉義景(1533~73)に元亀元年(1570)11月19日に送った戦果の報告状。信玄と義景は将軍足利義昭(1538~97)の要請を受けて信長包囲網を形成しており、東と北から信長を脅かしていた。家康に対しても圧力を強め、この書状を送った前月の元亀元年(1570)10月には遠江の一言坂で家康軍を撃破、二俣城を包囲し、三河の山家三方衆(作手奥平氏・長篠菅沼氏・田峯菅沼氏)と、美濃岩村城(岐阜県中津川市岩村町)を味方に引き入れ、徐々に信長・家康を追い詰めていった。

如露先書候去月三日出
甲府同十日当国へ乱
入敵領不残撃碎号二俣
地取詰候殊二三州山家
濃州岩村属味方対
信長為当敵動干戈候
此所御分別肝要二候為其
以玄東斎申候委曲説与
彼口上候之間不能具候
恐々謹言

十一月十九日 信玄(花押)

謹上 朝倉左衛門督殿