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作品詳細

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徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM000661
作品No.
掛物77
画像No.
7316-0
 
 
作品名
小倉色紙「百しきや」
 
 
作家名
藤原定家(伝)
作家名欧文
Fujiwara Sadaie
 
 
年代
鎌倉時代
制作年
13世紀
材質・形状
彩牋墨書
寸法
縦17.3 横14.5
指定
名物
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
14.5MB
解説
【霊仙院千代姫(尾張家2代光友夫人)所用】/小倉色紙の名は、藤原定家が嵯峨小倉山に営んだ山荘の障子に押されていた百人一首の色紙形であったことに由来する。茶の湯の盛行にともない、桃山時代には、名だたる武将や茶人はこの色紙の所有を誇りとし、以後江戸時代を通じ定家の小倉色紙や歌書は、最上の贈答品のひとつとして重んじられた。定家の書風は、定家流・定家様と呼ばれ愛好された。
 「百しきや」は、『大猷院殿御実紀』寛永六年(1629)十一月十日条に三代将軍家光が、天海僧正・金地院崇伝らを招いて開いた茶会の席に、後藤庄三郎より献上された本品を使用したとの記事がある。こののち、寛永16年(1639)に家光の長女千代姫が、尾張徳川家二代光友のもとに入輿の際に持参し、以後尾張徳川家に伝来した。
[伝来]後藤庄三郎-二代将軍徳川秀忠-三代将軍徳川家光-千代姫(家光の娘・尾張徳川二代光友夫人)-尾張徳川家

百しきやふる
きのきはの忍にも
猶あまりある
むかしなりける