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作品詳細

クレジット表記
徳川美術館所蔵 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
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コレクションNo.
TAM000604
作品No.
巻物47-2
画像No.
47133-0
 
 
作品名
小河御所并東山殿御飾記 上巻(10/13)
 
 
年代
江戸時代
制作年
17世紀
材質・形状
紙本墨書
寸法
縦17.5 横684.5
 
 
所蔵先
徳川美術館
画像データ
9.6MB
解説
足利義政が居住した御所は、生涯で四箇所ある。一つ目は、幼少期から文安六年(1449)の将軍宣下を経て長禄3年(1459)まで居住した養父日野(烏丸)資任の私邸・烏丸殿。二つ目は、長禄3年に完成、移徙してから、文明8年(1476)に火災で焼失するまで居住した室町殿。三つ目は、もともと細川勝元の遊覧所であった邸宅をもらい受けた小川殿で、文明三年に完成。室町殿の焼失後は、文明13年に諸大名や子の義尚らへの不満から岩倉へ隠居するまでここに居住した。四つ目は、文明14年に造立を開始し、同16年に完成してから歿するまでここに居住した。四つ目は、文明14年に造立を開始し、同15年に完成してから歿するまでの過ごした東山殿である。東山殿の跡が現在の慈照寺(銀閣寺)で、当時の建物の一部が残されている。文明5年に将軍となった義尚は小川殿を御所とし、義政の東山御所に対して「西御所」と呼ばれた。本史料は、巻首に「小河御所并東山殿御餝図 相阿記」と書かれた貼紙があり、小川殿と東山殿の飾りに関する記述と規式12図、抹茶壺図21図、153名を列記する画人録、器物の名前や分類を書した部分によって構成される。奥書に「大永三年十二月吉日 松雪斎鑑岳真相(花押)過剋斎 玉床下」とある。本史料は古くから知られたようで、『古画備考』の相阿弥の項に引用が見られる。画人録の冒頭に書かれた『君台観左右帳記』の右側に「キソウクワウテイノミタカラノコテン」、左側に「クンタイカンサウチヤウキ」とふりがなのある点は、本史料のみに見られるが、室町将軍家による唐物収集と北宋の「風流天子」徽宗皇帝を結びつけようとする意識をうかがわせ、注意を引く。元来は未表装の一巻であったが、昭和51年に保存上の目的で、画人録の前の紙継ぎをはがし、二巻とした。