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作品詳細

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Photo : Kobe City Museum / DNPartcom
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コレクションNo.
KCM000090X02
画像No.
KCM000090X02
 
 
作品名
桜ヶ丘銅鐸・銅戈群
 
 
分類
古代の神戸
年代
弥生時代中期(紀元前2~1世紀)
出土地(制作地)
神戸市灘区桜ヶ丘町出土
材質・形状
青銅
寸法
高さ21.05~63.7 銅戈27.2~29.0
指定
国宝
 
 
所蔵先
神戸市立博物館
画像データ
9.0MB
解説
灘区の石屋川上流、六甲山南斜面の標高240m付近の通称「神岡」という尾根の東斜面で、土取り作業中に14口の銅鐸と武器形祭器である銅戈7口が発見された。発見者の記憶と、最初に出土した11号銅鐸に残る傷跡、出土時に付着していた錆や土の状況から埋納状況が推測されている。銅鐸は丘陵斜面を削って一つの埋納穴をつくり、2群に分かれ埋められていた可能性が高い。吊り手である紐(ちゅう)を同じ方向(傾斜に対し下方)に揃え、鰭(ひれ)を上下に置いた形ないし、斜めの形で、それぞれの銅鐸の身を接して置かれ、その上に同じ様な姿勢で2段ないし3段に重ね合わせて埋納されていたと考えられる。最も大きな6号銅鐸は鰭を左右に、鐸身を水平に置かれ、少し離れた東方から3口の銅鐸が置かれ、その下に方向を揃えて整然と重ね束ねられた銅戈7点が埋納されていたと推測される。 出土した銅鐸はその形態や文様構成に違いがあり、また石製鋳型と土製鋳型による二つの鋳造方法によって製作されているなど、製作時期の違いが見出される。本資料のように製作時期の違う銅鐸が多量に土中に埋納されることは最大の謎であるが、墓などの特定個人への副葬品としては出土例がなく、ムラの共有物であったと考えられる。弥生時代の祭祀形態だけでなく、当時の社会全体を考える上でも貴重な資料であり、昭和45年、国民共有の財産、国宝に指定されている。
注釈
国宝【名品2008】名品100選、銅鐸14口 銅戈7口