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作品詳細

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Photo : Kobe City Museum / DNPartcom
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コレクションNo.
KCM000089X01
画像No.
KCM000089X01
 
 
作品名
桜ヶ丘5号銅鐸_A面
 
 
分類
古代の神戸
年代
弥生時代中期
寸法
総高39.4 重量2.57kg
指定
国宝
 
 
所蔵先
神戸市立博物館
画像データ
9.5MB
解説
 4号銅鐸の袈裟襷文とは異なり、鐸身を縦に区分する横帯が斜格子文と綾杉文の2段構成の文様帯となっている。 A面の左上には、カエルの右足にくい付くヘビと棒を持つ人が、右上にはカエル・クモ・カマキリ、左下には△頭の2人の人物の間に分け入る○頭の人物、シカの角をつかみ片手に弓を持つ○頭の人物が鋳出されている。B面の左上にはⅠ字形具をもつ○頭の人物とサカナ3匹が、その右にはトンボとイモリ、左下にはサギとスッポン、その右下には△頭の人物が2人で脱穀作業をする姿が鋳出されている。4号と5号銅鐸、伝香川出土銅鐸、谷文晁旧蔵銅鐸に鋳出された絵画をどう解釈するかは諸説ある。これまでの狩猟・漁労の生活から、農耕を主体の生産手段とする社会への転換を讃える農耕讃歌を描いたとする説が有力であるが、この銅鐸より以前に製作された1号銅鐸の画題の多くを引き継ぎ採用していることが興味深い。銅鐸の絵画を読み解くことは、弥生時代の社会全体を読み解くうえでの重要な一視点である。(橋詰)灘区の石屋川上流、六甲山南斜面の標高240m付近の通称「神岡」という尾根の東斜面で、土取り作業中に14口の銅鐸と武器形祭器である銅戈7口が発見された。発見者の記憶と、最初に出土した11号銅鐸に残る傷跡、出土時に付着していた錆や土の状況から埋納状況が推測されている。銅鐸は丘陵斜面を削って一つの埋納穴をつくり、2群に分かれ埋められていた可能性が高い。吊り手である紐【ちゅう】を同じ方向(傾斜に対し下方)に揃え、鰭【ひれ】を上下に置いた形ないし、斜めの形で、それぞれの銅鐸の身を接して置かれ、その上に同じ様な姿勢で2段ないし3段に重ね合わせて埋納されていたと考えられる。最も大きな6号銅鐸は鰭を左右に、鐸身を水平に置かれ、少し離れた東方から3口の銅鐸が置かれ、その下に方向を揃えて整然と重ね束ねられた銅戈7点が埋納されていたと推測される。 出土した銅鐸はその形態や文様構成に違いがあり、また石製鋳型と土製鋳型による二つの鋳造方法によって製作されているなど、製作時期の違いが見出される。本資料のように製作時期の違う銅鐸が多量に土中に埋納されることは最大の謎であるが、墓などの特定個人への副葬品としては出土例がなく、ムラの共有物であったと考えられる。(…)【注釈へ】
注釈
(解説続き)弥生時代の祭祀形態だけでなく、当時の社会全体を考える上でも貴重な資料であり、昭和45年、国民共有の財産、国宝に指定されている。(橋詰) / 国宝【名品2008】名品100選、1口