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作品詳細

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Photo : Kobe City Museum / DNPartcom
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コレクションNo.
KCM000088X01
画像No.
KCM000088X01
 
 
作品名
桜ヶ丘4号銅鐸_A面
 
 
分類
古代の神戸
年代
弥生時代中期
寸法
総高42.2 重量3.27kg
指定
国宝
 
 
所蔵先
神戸市立博物館
画像データ
9.2MB
解説
 わずかに胴張りする鐸身に、斜格子の縦帯と、斜格子文と連続する渦巻文の2段構成の横帯とを田字形に交差させて鐸身面に4つの区画(四区袈裟襷文【けさだすきもん】)をつくり、裏表合わせて8画面に人物や動物、昆虫などの絵画を描き、鐸身の裾にも 子鹿を伴い列をなす鹿列を描いた絵画銅鐸である。A面とした左上にはクモと四足動物が、右上にはサカナをくわえるサギ、左下にはⅠ字形具をもつ○頭の人物、右下には弓を持ちシカの頭を押える○頭の人物が鋳出されている。その裏面のB面左上にはトンボ、右上にはカマキリとクモ、左下にはイモリ、右下にはスッポンの図を鋳出している。これらの画題の描き方には5号銅鐸と共通するものがあり、スッポンやカエル、イモリなどは真上から見た姿を描き、シカやサギやカマキリ、サカナなどは側面の姿を描いている。人物では、○の頭と△の頭とを描き分け男女を表現したものと考えられている。絵のある銅鐸は、発見された約500個のうち、約1割程度である。4号銅鐸や5号銅鐸の様に袈裟襷文のすべての区画に絵画文があり、画題の特徴や鐸身の形態がよく似ている銅鐸が他に2例ある。江戸時代に香川県から出土したと伝えられている銅鐸(東京国立博物館所蔵)、江戸時代の画家、谷文晁が所蔵していた銅鐸(所在不明)である。これらの4例の銅鐸は、一人の工人あるいは、一つの工房内で作られた四連作の銅鐸と考えられている。(橋詰)灘区の石屋川上流、六甲山南斜面の標高240m付近の通称「神岡」という尾根の東斜面で、土取り作業中に14口の銅鐸と武器形祭器である銅戈7口が発見された。発見者の記憶と、最初に出土した11号銅鐸に残る傷跡、出土時に付着していた錆や土の状況から埋納状況が推測されている。銅鐸は丘陵斜面を削って一つの埋納穴をつくり、2群に分かれ埋められていた可能性が高い。吊り手である紐【ちゅう】を同じ方向(傾斜に対し下方)に揃え、鰭【ひれ】を上下に置いた形ないし、斜めの形で、それぞれの銅鐸の身を接して置かれ、その上に同じ様な姿勢で2段ないし3段に重ね合わせて埋納されていたと考えられる。最も大きな6号銅鐸は鰭を左右に、鐸身を水平に置かれ、少し離れた東方から3口の銅鐸が置かれ、その下に方向を揃えて整然と重ね束ねられた銅戈7点が埋納されていたと推測される。 (…)【注釈へ】
注釈
(解説続き)出土した銅鐸はその形態や文様構成に違いがあり、また石製鋳型と土製鋳型による二つの鋳造方法によって製作されているなど、製作時期の違いが見出される。本資料のように製作時期の違う銅鐸が多量に土中に埋納されることは最大の謎であるが、墓などの特定個人への副葬品としては出土例がなく、ムラの共有物であったと考えられる。弥生時代の祭祀形態だけでなく、当時の社会全体を考える上でも貴重な資料であり、昭和45年、国民共有の財産、国宝に指定されている。(橋詰) / 国宝【名品2008】名品100選、1口