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画像提供:林原美術館/東京大学史料編纂所撮影/DNPartcom
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コレクションNo.
HMA11X00013X0019
作品No.
HMOA11X00013X0019
画像No.
HMOA11X00013X0019
作品名
斎藤利三宛 長宗我部元親書状(石谷家文書 巻第2)
作家名
長宗我部元親
分類
書跡
年代
江戸時代
制作年
天正10年(1582)
材質・形状
紙本墨書
所蔵先
林原美術館
画像データ
3.7MB
解説
天正10年(1582)6月2日に、明智光秀が織田信長を討った、本能寺の変の直前に出された書状。織田信長は四国討伐のため、三男の神戸信孝を総大将に任じ、5月7日付で四国分国令の朱印状を発給した。命を受けた信孝は、5月29日に摂津国(現、大阪府)住吉に着陣し、6月2日に四国へ渡海する予定であった。この書状は、5月21日付のものであり、四国討伐が決定した直後の長宗我部元親の心境をうかがうことができる。元親は、信長の命(御朱印)に従って、阿波国の一宮、夷山城、畑山城などの地から撤退しており、海部・大西城は土佐国の門(入口)だから所持したいこと、甲州征伐から信長が帰陣したら同心したいことなどを、斎藤利三に伝えている。