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作品詳細

クレジット表記
福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom
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コレクションNo.
FCM2003B00029
画像No.
2003B00029
 
 
作品名
小早川隆景書状
 
 
作家名
差出:隆景(花押) 宛所:(神屋)宗湛
 
 
分類
古文書
年代
桃山時代 (天正16(1588)年)2月20日
材質・形状
楮紙・折紙
寸法
31.4×49.2
 
 
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
6.9MB
解説
 博多の復興を示す文書。天正(てんしょう)15(1587)年、豊臣秀吉(とよとみひでよし)は九州平定の帰途、筑前国箱崎(はこざき)(現福岡市東区箱崎)に滞在し、当地において九州の国分(くにわけ)やバテレン追放令を発し、戦乱で荒廃した博多の復興を命じた。
 ここに掲げる文書は、新たに筑前を領することになった小早川隆景(こばやかわたかかげ)が、神屋宗湛(かみやそうたん)に嶋井宗室と協力して博多の家作りに当たるように命じたものである。九月を目途に終了させること、また、身分に応じて瓦葺と板屋・竹瓦の区別をつけることを指示し、博多復興の具体的状況を窺うことができ興味深い。
 秀吉の博多復興は、太閤町割(たいこうまちわ)りと称され、後世の博多の人々に秀吉憧憬の思いを抱かせることになる。ただし、このことは単なる博多の振興ではなかった。文禄・慶長の役が始まると、もう一つの目的が明らかとなる。秀吉は隆景を介して、宗室・宗湛に命じて兵糧米備蓄のため博多の蔵を空けさせている(参考図版①)。兵砧基地(へいたんきち)としての整備という目的もあったのである。 釈文:尚々、以ケ条申下儀、慥ニ可申聞候、以上、就博多家作之儀、先度茂申下候、少々可相調肝要候、幸宗室下之儀候間、弥申含候、可有談合候、分際之者共、悉瓦可仕候、其下之者、板屋竹瓦ニ、限九月を可相調段、堅可被申付候、緩相心得候者、旁親類之者始、法度ニ申付候、宗室事者、彼調隙入之条、其方肝煎専一候、委細宗室可申候、恐々謹言、二月廿日隆景(花押) 」宗湛まいる【ID Number2003B00029】参考文献:『福岡市博物館名品図録』
注釈
参考文献:『福岡市博物館名品図録』46・『博多の豪商~嶋井宗室展』51・『福岡県史』近世史料編福岡藩町方1-42 A  旧番号(旧備品番号):29(1996D0029000)