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作品詳細

クレジット表記
福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom
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コレクションNo.
FCM1992P00933
画像No.
1992P00933
 
 
作品名
博多祇園山笠当番法被(福神流上魚町)
 
 
作家名
不詳
 
 
分類
服飾
年代
明治時代 明治20年代
材質・形状
木綿製・箱崎縞
寸法
着丈104.0 裄62.0
 
 
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
10.0MB
解説
 博多の代表的祭礼「博多祇園山笠」の長法被(ながはっぴ)。山笠を舁くときに着る丈の短い「水法被(みずはっぴ)」に対して、長法被は当番を務めるときに新調するので「当番法被」と呼ばれる。明治時代以降着用されるようになったもので、各町が久留米絣(くるめがすり)を用いて意匠化した独特な図柄をそれぞれ持っている。祭礼期間中のみ着ることが許され、そのまま結婚式などにも出席できるなど、晴れ着・儀礼服ともみなされてきた。
 この法被は、福神流旧上魚町のものである。久留米絣ではなく、昭和の初期まで博多東部の箱崎在で織られていた「箱崎縞(はこざきじま)」で仕立てられているところに特徴がある。上魚町は明治26年と33年の山笠で福神流の当番町を勤めており、これは後者に製作されたものと思われる。福神流は、明治38年の「追い山(おいやま)」で雷嶋と太鼓の音を聞き誤って一分早く山笠を出発させ行事を混乱させた責任をとって、この年を最後に山笠奉納を休止している。大正2年以降は、もっぱら「鎮めの能」を担当する能当番を務めることで山笠に参加するようになった。昭和に入ると、当番法被は「上魚」の文字をあしらった久留米絣製のものに変わった。戦争で被災した博多には、上魚町のような明治期の当番法被はほとんど残っていない。
【ID Number1992P00933】参考文献:『福岡市博物館名品図録』
注釈
参考文献:『福岡市博物館名品図録』