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福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom
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コレクションNo.
FCM1990P04128
画像No.
1990P04128
作品名
足利直冬安堵状
作家名
差出:(直冬花押) 宛所:(宝珠山種永)
分類
古文書
年代
南北朝時代 貞和6年10月28日
材質・形状
楮紙 巻子装
寸法
30.6×30.8
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
8.8MB
解説
南北朝の動乱は、離合集散を繰り返しながら日本の各地で戦乱が起きたが、さらに、室町幕府(むろまちばくふ)内の主導権争いに端を発した観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)は、動乱を一層複雑にした。足利尊氏(あしかがたかうじ)の庶子直冬(ただふゆ)が、貞和(じょうわ)5(1349)年九州で挙兵し、九州は直冬派、尊氏派、南朝方と天下三分の様相を呈した。
左掲の文書は、貞和6年10月付で宝珠山種永(ほうしゅやまたねなが)が宝珠山(ほうしゅやま)・皷(つづみ)・豊前国津野村地頭職(じとうしき)の安堵を申請したことに対し、提出された申状(もうしじょう)の紙背(しはい)に足利直冬が花押(かおう)を据えてその申請を認めたものである。、これは元来、下掲の文書の裏側であり、裏の文字が透けて見えるように、薄く剥がされていることが分かる。直冬は自己の勢力を結集するため、本文書のように、具体的審理を経ずに、安堵申請をそのまま認める裏書安堵(うらがきあんど)を大量に行った。
本文書は、筑前国上座郡宝珠山村(現福岡県朝倉郡宝珠山村)を名字の地とする宝珠山家に伝来した宝珠山家文書の一通である。黒田二十四騎の一人に挙げられる原弥左衛門種良(はらやざえもんたねよし)(1557~1639)は同家の出身である。年代は中世・近世を中心に一部明治時代に及び、総計88点を数える。宝珠山(原)氏は大蔵(おおくら)姓を本姓とし、戦国時代までは豊前国田川郡内に所領をもつ領主で、豊臣秀吉(とよとみひでよし)による天正15(1587)年の九州国分(きゅうしゅうくにわけ)後、豊前国内六郡の領主となった黒田如水(孝高)の与力となり、種良は苗字を原氏に改称し、黒田家の家臣となった。中世後期の北部九州の政治的・軍事的動向や福岡藩成立期の諸問題を考察するための重要な史料が含まれる。@釈文:任此状、可令領掌、若構不実者、可被罪科状如件、 貞和六年十月廿八日 (花押)
注釈
1990P4128001の裏部分