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福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom
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コレクションNo.
FCM1985P06203
画像No.
1985P06203
作品名
戸次鑑連書状
作品名欧文
Letter of Bekki Akitsura
作家名
差出:戸次鑑連(花押) 宛所:三苫式部少輔・勧進坊・大宮司
分類
古文書
年代
戦国時代 (元亀2年)7月29日
材質・形状
楮紙・竪紙
寸法
23.9×37.8
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
9.9MB
解説
福岡市東部に位置する香椎(かしい)。当地には神宮皇后(じんぐうこうごう)伝説縁の香椎宮(かしいぐう)が鎮座する。また、その後背地に位置する立花山(たちばなやま)(標高367.1m)には、南北朝時代の初めに大友(おおども)氏が築いたといわれる立花城(福岡市東区、糟屋郡新宮町・久山町)がある。鎌倉時代後期、蒙古襲来(もうこしゅうらい)を契機として、豊後国守護であった大友氏は香椎地区の元冠防塁(げんこうぼうるい)の築造と、異国警固番役(いこくけいごばんやく)を担当し、そのため香椎は大友氏の所領とされた。本丸のある頂上からは、博多湾や福岡平野を一望のもとに見渡すことができ、戦国末期まで大友氏の筑前支配の重要な政治的・軍事的拠点として機能した。
三苫家文書(みとまけもんじょ)は、香椎宮の神宮を代々務めてきた三苫家に伝来した中世文書である。香椎宮に関する史料は、その由緒の古さに比すれば、中世以前は極めて数少ない。この三苫文書は戦国時代に限定されるとはいえ、48通あり、もっともまとまって伝存している。昭和57年に福岡市の有形文化財に指定されている。
この文書は、新たに立花城督(じょうとく)として赴任してきた戸次鑑連(べっきあきつら)(後の道雪(どうせつ))が出した礼状である。香椎宮の大宮司(だいぐうじ)・勧進坊(かんじんぼう)・三苫式部少輔(しきぶのしょう)の三人は新任の立花城督鑑連に就任祝の進物を贈り、鑑連は本文書で礼を述べている。鑑連はキリシタン大名として著名な大友宗麟(おおどもそうりん)の重臣で、その政権中枢を支える加判衆(かはんしゅう)というもっとも重要な役職に就いていたが、当時は永禄10~12(1567~1569)年の毛利(もうり)氏との戦闘が終わって間もない頃で、宗麟は毛利氏の反撃に備えながら、うまく戦後処理を行うため、信頼する鑑連を筑前に派遣したのである。鑑連が加判衆を退き、現地に赴任したことは、課せられた任務の重要性と主君宗麟の期待の大きさを表していよう。
【ID Number1985P06203】参考文献:『福岡市博物館名品図録』
注釈
①図画4点②望東尼筆書簡 参考文献:『福岡市博物館名品図録』