画像提供元
作家/制作者
作品名/資料名
クリア
閉じる

作品詳細

クレジット表記
福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom 撮影:藤本健八
ご利用上の注意
ご利用内容により、画像提供元(美術館・博物館等)から事前に許可を得ねばならない場合があります。
コレクションNo.
FCM1983P00078
画像No.
1983P00078
 
 
作品名
銀大中刳大盔旗脇立頭形兜
作品名欧文
Helmet with Big Silver Link Ornamentation
 
 
作家名
所用:黒田一成
作家名欧文
Owned by Kuroda Kazunari
 
 
分類
武器
年代
安土・桃山時代 
材質・形状
木・鉄・革製・黒漆器・銀泥塗
寸法
鉢高:21.0 脇立:8.5 脇立弦長:103.0
 
 
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
9.8MB
解説
 福岡藩の重臣黒田一成(くろだかずなり)(1571~1656)が着用した頭形兜で、長大な銀の中刳(円形の縁を残して刳りぬいた飾りで本来は背の指物にした)を脇立にする。慶長5(1600)年関ケ原合戦前の合渡(ごうど)の合戦で、この兜を着用した一成はあまりに目立ち、遠方から狙撃(そげき)されたという。一成の本姓は加藤(かとう)で、父が伊丹(いたみ)城に幽閉された黒田如水と懇意にしたことで、如水にひきとられて養育され、歴戦(れきせん)の武将(ぶしょう)として活躍した。関ケ原合戦後、筑前国の三奈木(みなぎ)(現甘木市)で、初め一万二千石余を与えられた。黒田姓を許されたため三奈木黒田氏と称される。家老の一人として国中仕置(しおき)にかかわり、寛永(かんえい)9(1632)年の黒田騒動では忠之擁護(ただゆきようご)にまわり、家老中の筆頭の地位につき、最終的には下座(げざ)郡を中心に一万五千石程を領した。寛永15年の島原の陣では、戦場巧者(こうしゃ)として忠之(ただゆき)を助ける。同20年に隠居、睡鴎(すいおう)と号し、花鳥風月を楽しみ、明暦(めいれき)2(1656)年86歳で死去した。二代一任(かずとう)以下、歴代の当主も筆頭家老として藩政の重きをなした。三奈木黒田家資料は武具・甲冑、刀剣や歴代当主画像、絵画や書跡、奥方の什器(じゅうき)類等が残り、福岡藩家老家の歴史や文化をしのばせる。
【ID Number1983P00078】参考文献:『福岡市博物館名品図録』
注釈
参考資料:『福岡市博物館名品図録』