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福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom
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コレクションNo.
FCM1978P00222
画像No.
1978P00222
作品名
羽柴(豊臣)秀吉自筆書状
作品名欧文
Autograph Letter by Hashiba(Toyotomi)Hideyoshi
作家名
差出:ちくせん(筑前・羽柴秀吉) 宛所:小くわん(黒田孝高)
分類
古文書
年代
戦国時代 (天正5(1577)年)7月23日
材質・形状
楮紙・折紙
寸法
22.6×39.4
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
9.0MB
解説
福岡藩を聞いた黒田長政(くろだながまさ)の実父黒田如水(じょすい)(俗名孝高(よしたか))。如水は、当初、播磨(はりま)国御着(ごちゃく)城(現兵庫県姫路市)の小寺政職(こでらまさもと)に仕えていたが、織田信長(おだのぶなが)の勢力が中国地方に波及するようになると、政職に勧めて信長に通じ、信長の許に自ら使いした。そして、中国攻めの大将として羽柴秀吉(はしばひでよし)(後の豊臣(とよとみ)秀吉)が播磨に出陣すると自己の居城である姫路城を秀吉に提供し、以降、秀吉の軍師として各地の合戦に従軍した。この文書は、秀吉が中国地方に出陣するに先立って黒田如水に送った自筆書状である。秀吉は弟秀長(ひでなが)と同様に心安く思っていることを伝え、さらに自分を憎むものは如水も憎むであろうと、両者一心同体であることを強調している。秀吉が出陣を前にして、如水に多大な期待をかけていたことが文面によく表われている。秀吉は、この10年後、九州平定の帰途、博多を訪れ、戦乱で荒廃した博多の復興を命じ、その都市計画は太閤町割り(たいこうまちわり)と呼ばれ、福岡に大きな足跡を残している。
注釈
参考文献:『黒田家文書』第1巻121号・『福岡市博物館名品図録』・『黒田家・その歴史と名宝展』