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作品詳細

クレジット表記
福岡市博物館所蔵 画像提供:福岡市博物館 / DNPartcom
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コレクションNo.
FCM1900P00002X00003
画像No.
1900P00002〜00003
 
 
作品名
「警固」銘平瓦
作品名欧文
Flat Tile with Incised Characters
 
 
作家名
採集者:高野孤鹿
 
 
分類
考古遺物
年代
平安時代
寸法
縦9.6 横8.5 厚2.1、縦8.0 横6.4 厚2.4
 
 
所蔵先
福岡市博物館
画像データ
9.9MB
解説
 高野孤鹿(たかのころく)氏が、昭和27(1952)年頃、福岡市西区下山門(しもやまと)の斜ケ浦瓦窯跡(ななめがうらかわらがまあと)で採集された[警」(逆字)と「警固」銘の平瓦の破片(写真下)である。「警」や「警固」の文字と斜め格子を刻んだ板を横にずらしながら、瓦の凸面にくりかえし押しつけたものである。凹面は、「警」銘の方は縄目、「警固」銘は布目の圧痕(あっこん)が施されている。外敵警固の施設として、鴻臚館(こうろかん)と同じく福岡市中央区城内周辺に設けられたと推定される警固所(けごしょ)のために焼かれたものであろうか。ただし現在のところ、鴻艦館跡の発掘では「警」「警固」銘の瓦の出土は報告されていない。
 また、平成8(1996)年に玄界灘の相ノ島(あいのしま)(福岡県新宮町)沖から、凸面に「警固」とスタンプされた完形の平瓦(凹面は布目、写真上)が、底引網によって引揚げられた。平安京の朝堂院跡(ちょうどういんあと)からも同じ「警固」銘瓦が出土しており、斜ケ浦瓦窯で焼かれた「警固」銘瓦は海上ルートで平安京へ運ばれた可能性が高い。斜ケ浦瓦窯は、その後の発掘調査によって、9~11世紀に使用された地下式の登り窯(地上に築いたものではなく、地下に掘ったもの)であることが判明した。【ID Number1900P00002〜00003】参考文献:『福岡市博物館名品図録』